影の肩代わり影の肩代わり影を抑圧して行きながら、影の反逆を全く受けていない様に見える人もある。 しかしよく見るとその人の周囲の人が、その影の肩代わりをさせられている場合が多い。 例えば、宗教家、教育者と言われる人で、 他人から、聖人君子の様に思われている人の子供が手をつけられない放蕩息子であったり、 犯罪者であったりする場合がそれである。 世間の人はどうして親子で有りながら、あれほど性質が悪いのか、 といぶかったり、息子の親不幸ぶりをなじったりする。 あるいは、聖人君子と言われていても案外子供には冷たいのではないかとか、 親子関係の悪さを勘ぐったりする。 しかし、これはその様な次元では了解できない事であり、 たとえ、親子関係に一般的な意味で問題が無いとしても、 親の「影のない」生き方自身に子供の肩代わりの減少を呼び起こす力が存在しているのである。 一般に信じられている様に、 親が悪いから子供が悪くなるという図式で了解されるような場合は、治療も簡単である。 しかし、いわば親が良い為に子供が悪く成っているとでも言うべき時は、 治療はなかなか難しいのである。 それほど劇的ではないにしても、 子供は多かれ少なかれ親の影を背負わされているものである。 子供はそれと苦闘しつつ、結局はそれを背負って親と全く逆の生き方をするか、 影を排除しようしつつ親と同じ生き方をするかに成ってしまう事が多い。 親を色々と批判しつつ、 子供は親と同じかあるいは全く逆かの二つの生き方を選ぶ事が多く、 親の生き方を適度に修正する事は、ほとんど至難の事と言ってよい。 そこには、無意識的な影の力が働いている為、 意識的な努力に強い感性が作用しているのである。 |